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日本の学校でのクラブ活動!?

先日お会いした方の面白い話をひとつ・・・・

その方はご両親の仕事の関係で、子供の頃からアメリカに住んで、アメリカの学校で教育を受けていたそうです。18才のとき「自分は日本人だから日本の文化をちゃんと学ぶために日本の大学に行く!」と決めて、東京の某有名私立大学に入学しました。いわゆる帰国子女ですね。

この方は、アメリカの学生時代からサッカーをずーっとやってきて州選抜メンバーにも選ばれるほどの選手だったので、某有名私立大学でもサッカーを続けようと体育会サッカー部に入部したそうです。

で、そこで経験したのが体育会サッカー部にある「上下関係」や「日本での常識」。本当にびっくりしたそうです。

例えば、練習前のグランド整備はだれの仕事でしょうか?すくなくとも学校で運動部に入っていた人や友達に運動部がいた人は察しがつくと思います。そう、もちろん、一年生の仕事ですよね?ボール拾いなんかもそれにあたるでしょう。体育会のクラブに入部して、そういう常識が全くなかったので、他の同じ学年の選手たちがグランド整備のトンボがけをしているにもかかわらず、まったく気に留めることも無く一人でリフティングの練習をしていたそうです。

さて、外見は普通の日本人。ただ、生活環境が帰国子女だったため、頭の中の常識はアメリカ人の18才の彼。いわゆる「バナナ (外は黄色で中身は白)」に分類される彼。あなたはリフティングをしている彼をどうしますか?同級生なら?先輩なら?注意しますか?放っておきますか?

彼は、アメリカでスポーツをしてきた中で、学校の課外活動として運動をしてきていないのです。学校の授業が終了した後、スポーツとしてサッカーを続けてきたので、サッカーをするためにグランドに行っていたのです。じゃ、誰が、グランド整備をしていたのでしょうか?誰かがボランティアでしていたのではなく、グランド整備をする職員が行っていたのです。

彼がなにも気づかないままリフティングをしていると、優しい先輩の一人が「おまえ、グランド整備は一年生の仕事なんだよ!リフティングしてる場合じゃないだろ!」と叱ってくれたそうです。同じ学年の仲間たちは、彼の思考がなかなか理解できず、本当に打ち解けるのに時間がかり、大学卒業から15年以上経っている現在、一番の親友はその叱ってくれた先輩だそうです。

我々がテーマにしている「スペインでサッカーをするときに文化を学ぶ」ってこういうことだと思います。

「サッカーに関するヨーロッパの当たり前の常識 = 日本人の非常識」

ちなみに柔道や桜ノ宮高校で話題になっていますが、今の日本の育成が、サッカーだけを考えて育成している人たちに通用していくでしょうか?大切な転換期にさしかかっているのではと思います。

ただ、スペインに子供を連れて行ってサッカーをさせるだけでは、彼が経験したことと同じようなことを経験すると思います。彼は18才で経験しました。それを乗り越えるのに、本当に苦労したと言っています。みなさんの子供の場合だと何才だとだいじょうぶだと思いますか?でも、サッカー選手として応援するには、18才だと遅すぎますよね?

日本のサッカーの育成を変えていくには、日本の常識は世界の非常識 => 世界基準で物事を判断する =>適切な環境をなるべく早く準備していくことがとても大切だと思います。

微力ながら、日本のサッカーを変えていくために、最大限努力したいと思います!

 

 

 

 

酒井宏樹にドイツ紙が日本語で「ドイツ語が問題」

育成において、とても重要な要素としてあげる「語学」・・・ その重要性をまた再認識させられる記事がでていました。

DF酒井宏の語学力に独誌苦言

ヨーロッパで一人のサッカー選手としてチームに溶け込み、チームで闘うには本当に語学、人間力が大切なんです。

某日本人有名選手は、チームメートと仲良くなるためにわざとロッカールームで、自分のバッグから日本のアダルトな雑誌がチームメートの目に留まるようにはみ出させておいたそうです。

「どうして、こんなものもってるの?」と、チームメートはロッカールームで大騒ぎに。でも、それから、言葉を超えた関係が構築され始め、いまでは、プライベートを含めて選手どうしで誘い合う仲になっているそうです。

 

独紙、オフの勝者と敗者を特集「長谷部は右SBの控え、酒井高徳はポジションが危ない」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00090376-soccerk-socc

日本代表の長谷部選手や酒井選手が所属クラブでレギュラーポジションを失いそうで、1月31日までの移籍ウィンドウでの移籍の可能性について言及されています。

日本代表選手でも、監督の構想にはまらないとレギュラーポジションがとれずに試合に出れない現実。ただ、長谷部選手にはプレミアリーグのフラムが興味を示しているとのこと。

ブンデスリーグで戦っていた長谷部選手にプレミアリーグのチームが興味を示しているのです。ヨーロッパのリーグは互いに情報を共有しながら、選手の評価を常にアップデートし、チームの強化に努めています。

ブンデスリーグもプレミアリーグもどちらも魅力的な市場です。長谷部選手にとっては所属クラブでの出場機会を失うことで、念願のプレミアリーグへの移籍のチャンスが出てくるなんて「ひょうたんからコマ」かもしれませんが、ヨーロッパという市場の大きさがもたらした出来事ではないでしょうか。

 

スポーツ育成に残る深い影

桜ノ宮高校の体罰事件を発端に、様々なところで様々な議論が活発化しています。これは第二次世界大戦後の日本が本当の意味で、文化的にプロスポーツを受け入れて行けるかどうかという必要な移行プロセスだと思います。

先日、高校サッカーで有名な某公立高校サッカー部でキャプテンを務めていた方と話をしているとき、やはり「体罰」の話題になりました。サッカーでもやはり、強豪校には体罰がつきものだったというのが彼の認識でした。彼も、教えられたことができないとか、ふがいない試合をしたとかいう理由から、こぶしで殴られたり、掌底突きをされたり、蹴られたりした経験が一度や二度ではないそうです。

彼が体罰を受けた経験の描写を聞いていると、先日、飛行機の中でみた映画「硫黄島からの手紙」を思い出しました。その映画自体には、それほど興味も感動もありませんでしたが、軍隊教育というものを久しぶりに生々しく感じた映画でした。彼は、その軍隊教育に近い体験をしてるんだなぁ・・・と、ふと思いました。

映画の中では、2人の憲兵が反戦主義者がいないかどうか町中をパトロールして、国旗をちゃんと高く掲揚できていない家をみつけて厳しく指導するシーンがありました。その家人に憲兵隊の兵隊が話をしているときに犬がやかましく吠えました。すると、その憲兵の上官が、「お国を守る憲兵隊の命令伝達を邪魔する犬は始末しろ!」と、下士官に犬の殺害を命じたのです。下士官は、「はっ!」とばかりに犬を裏庭に追っていき、空砲をうつことで上官の命令を実行したように見せかけました。上官のもとに戻って、「犬を始末しました」と下士官が報告した直後、犬が再び吠えている声を上官が聞くことになります。上官は、その家に再び乗込んで犬を銃殺し、そして下士官のもとに戻るとその下士官をひたすら殴りつけ、憲兵隊から硫黄島の戦地へ二等兵として追いやってしまったのです。

日本が戦争に勝利するために、果たしてこの犬は何か邪魔をしたのでしょうか?そんなはずはないですね。加えて、この下士官は、軍紀違反で憲兵隊を首にされなければならなかったのでしょうか?

下士官にも考える頭があり、この上官命令がどれほど馬鹿げているかがわかったうえでの行動だったと思います。では、上官はなぜ、そんな馬鹿げた命令をしたのでしょうか?下士官が命令に従うかを試す?町の人達にから憲兵が畏怖させる存在にする?それとも、この上官のただの嫌がらせ?一体なんなのでしょうか?答えはわかりませんが、軍隊を形成して軍紀を維持していくためには、本当の上官というのは命令を与えるにあたり、下士官にその重要性を説明して納得させるか、または、上官は絶対に馬鹿げた命令はしない、絶対間違った判断はしないという絶対の信頼感を下士官が上官に対して持っているのどちらかしかないと思います。上官に値しない人物がその地位につくと、こういう悲劇が起こるのだと思います。

1945年に終戦を迎えてから68年が経過します。戦後教育が1948年から始まったと仮定して、当時30才の先生だったと考えると、その先生たちは95才ですね。ほとんどの方が亡くなっているでしょう。この先生が定年退職するまでの30年間に直接、教育した子供たちは、6才から教育を受け始めると仮定すると、1942年‐1972年生まれまでの子供たちです。つまり、2013年の今年、41歳を迎える方々より年齢が上の世代は、戦前に教育をうけ、戦後、指導者として、新たに戦後の教育を実践しようとしてきた指導者に直接、育てられた世代といえます。直接と言わないまでも、その指導者の影響を色濃く受けた指導者に育てられたと言っても過言ではないでしょう。

文化や知識の観点では、積極的に戦前と戦後の教育は分離されようとしてきました。しかしながら、体育やスポーツに関しては、育成の考えや手法については戦前、戦後という考えは文化や知識の観点ほど意識して区分けされていません。そういった意味で、戦前の軍隊教育、軍紀の遵守といった手法が、現在も体育やスポーツといった分野では、影響を色濃く引きずっているのではないかと思います。

さて、プロ野球やプロサッカーというスポーツ職業が存在する今日、現在のプロ選手に求められるものは、チームや監督の指示に言われた通りに従い、言われた通りのパフォーマンスを発揮することでしょうか?

特にサッカーの場合、ゲームが途中で中断されることは極めて少なく、刻々と変わる状況のなかで個々の選手がその場その場での最適な判断を求められます。軍隊教育や軍紀の遵守を前提にした育成を受けた指導者で、その指導者が実践してきた育成方法では、プロサッカー選手を育てるのに限界があるのは「なるほど」と思えませんか?だからこそ、さまざまな育成プログラムを子供たちにも、指導者の皆様にもどんどん提供していきたいと考えます。

ちなみに、冒頭の体罰をした先生は今何をしているかというと、協会関連の仕事をしているそうです。体罰をしていた人に、声高に「体罰はダメだ!」と言われても、やはり説得力には欠けてしまいますね。大阪の橋本市長のように、組織を挙げての大々的な転換宣言が「体罰」のみならず、「育成方法」についても必要ではないでしょうか?