スポーツ育成に残る深い影

桜ノ宮高校の体罰事件を発端に、様々なところで様々な議論が活発化しています。これは第二次世界大戦後の日本が本当の意味で、文化的にプロスポーツを受け入れて行けるかどうかという必要な移行プロセスだと思います。

先日、高校サッカーで有名な某公立高校サッカー部でキャプテンを務めていた方と話をしているとき、やはり「体罰」の話題になりました。サッカーでもやはり、強豪校には体罰がつきものだったというのが彼の認識でした。彼も、教えられたことができないとか、ふがいない試合をしたとかいう理由から、こぶしで殴られたり、掌底突きをされたり、蹴られたりした経験が一度や二度ではないそうです。

彼が体罰を受けた経験の描写を聞いていると、先日、飛行機の中でみた映画「硫黄島からの手紙」を思い出しました。その映画自体には、それほど興味も感動もありませんでしたが、軍隊教育というものを久しぶりに生々しく感じた映画でした。彼は、その軍隊教育に近い体験をしてるんだなぁ・・・と、ふと思いました。

映画の中では、2人の憲兵が反戦主義者がいないかどうか町中をパトロールして、国旗をちゃんと高く掲揚できていない家をみつけて厳しく指導するシーンがありました。その家人に憲兵隊の兵隊が話をしているときに犬がやかましく吠えました。すると、その憲兵の上官が、「お国を守る憲兵隊の命令伝達を邪魔する犬は始末しろ!」と、下士官に犬の殺害を命じたのです。下士官は、「はっ!」とばかりに犬を裏庭に追っていき、空砲をうつことで上官の命令を実行したように見せかけました。上官のもとに戻って、「犬を始末しました」と下士官が報告した直後、犬が再び吠えている声を上官が聞くことになります。上官は、その家に再び乗込んで犬を銃殺し、そして下士官のもとに戻るとその下士官をひたすら殴りつけ、憲兵隊から硫黄島の戦地へ二等兵として追いやってしまったのです。

日本が戦争に勝利するために、果たしてこの犬は何か邪魔をしたのでしょうか?そんなはずはないですね。加えて、この下士官は、軍紀違反で憲兵隊を首にされなければならなかったのでしょうか?

下士官にも考える頭があり、この上官命令がどれほど馬鹿げているかがわかったうえでの行動だったと思います。では、上官はなぜ、そんな馬鹿げた命令をしたのでしょうか?下士官が命令に従うかを試す?町の人達にから憲兵が畏怖させる存在にする?それとも、この上官のただの嫌がらせ?一体なんなのでしょうか?答えはわかりませんが、軍隊を形成して軍紀を維持していくためには、本当の上官というのは命令を与えるにあたり、下士官にその重要性を説明して納得させるか、または、上官は絶対に馬鹿げた命令はしない、絶対間違った判断はしないという絶対の信頼感を下士官が上官に対して持っているのどちらかしかないと思います。上官に値しない人物がその地位につくと、こういう悲劇が起こるのだと思います。

1945年に終戦を迎えてから68年が経過します。戦後教育が1948年から始まったと仮定して、当時30才の先生だったと考えると、その先生たちは95才ですね。ほとんどの方が亡くなっているでしょう。この先生が定年退職するまでの30年間に直接、教育した子供たちは、6才から教育を受け始めると仮定すると、1942年‐1972年生まれまでの子供たちです。つまり、2013年の今年、41歳を迎える方々より年齢が上の世代は、戦前に教育をうけ、戦後、指導者として、新たに戦後の教育を実践しようとしてきた指導者に直接、育てられた世代といえます。直接と言わないまでも、その指導者の影響を色濃く受けた指導者に育てられたと言っても過言ではないでしょう。

文化や知識の観点では、積極的に戦前と戦後の教育は分離されようとしてきました。しかしながら、体育やスポーツに関しては、育成の考えや手法については戦前、戦後という考えは文化や知識の観点ほど意識して区分けされていません。そういった意味で、戦前の軍隊教育、軍紀の遵守といった手法が、現在も体育やスポーツといった分野では、影響を色濃く引きずっているのではないかと思います。

さて、プロ野球やプロサッカーというスポーツ職業が存在する今日、現在のプロ選手に求められるものは、チームや監督の指示に言われた通りに従い、言われた通りのパフォーマンスを発揮することでしょうか?

特にサッカーの場合、ゲームが途中で中断されることは極めて少なく、刻々と変わる状況のなかで個々の選手がその場その場での最適な判断を求められます。軍隊教育や軍紀の遵守を前提にした育成を受けた指導者で、その指導者が実践してきた育成方法では、プロサッカー選手を育てるのに限界があるのは「なるほど」と思えませんか?だからこそ、さまざまな育成プログラムを子供たちにも、指導者の皆様にもどんどん提供していきたいと考えます。

ちなみに、冒頭の体罰をした先生は今何をしているかというと、協会関連の仕事をしているそうです。体罰をしていた人に、声高に「体罰はダメだ!」と言われても、やはり説得力には欠けてしまいますね。大阪の橋本市長のように、組織を挙げての大々的な転換宣言が「体罰」のみならず、「育成方法」についても必要ではないでしょうか?